Misterioso

Misterioso


 R.I.P.




 人が悲しみでいっぱいになるときというのは、何かにその悲しみの感情をぶつけたくなる場合がある。そのいい例が「神様」への八つ当たりである。「神様」という存在があるならなぜに「病気を治してくれない?」「友人達や家族の元からなぜ離す?」「その人自身したいことをさせない?」などなど。今日の私はそんな心境であった。出棺の合図を階上から聞いたときにふと思ったのは「親より先に死んでしまうのは何よりも親不孝なことだな」ということである。しかもそれが自ら選んだものでないからなおさらハガユイ。私を含め、周りの人間の悲しみもそうだが、何よりもそのご家族と本人の無念さを思うと、最後に皆の感情の行き着く先はやはり「神様」なのかもしれない。ただ「さだめ」「運命」という言葉で済ませるにはあまりに残念である。
 安らかに・・・・。

 今日はあまり気分的に乗らないので篭り気味にJAZZなんぞを聴いている。Thelonious Monk QuartetMisteriosoである。1958年8月NYC「Five Spot Cafe」でのライヴ録音作品である。MONKについて私はそれほど詳しい訳でもないし、その周辺事情に明るいともいえないが(これはJAZZ全般に対して言える。)、私は勝手に彼のことをPIANO版○○と呼んでいる。○○にはあるミュージシャンの名前が入るのだが、これは逆にMONKに失礼なのかもしれない。彼の曲というのはなんというか「一つの箱に収まりきらない得体の知れない何か」を持っているし、そのプレイも俗にいう「ヘタウマ」の範疇にも収まらない「スケールの大きさ」を感じる。このアルバムではJOHNNY GRIFFINのSAXもまた冴え渡っているので、こちらも聴き所である。感情を鍵盤の上に叩きつけているのではなく、あくまでソフトなMISTのように、そして表面上はコミカルな一面を見せつつもその根底には触れさせない神秘的なものを抱えている(Mysterious)、そんな両面がうかがえる名盤である。「しっとりとした」アルバムではないが、「聴かせる/考えさせる」アルバムであることは間違いない。